何者にもなれていない僕はダメなゆとり人間なのだろうか…

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ゆとり世代の最底辺をはってきました。

 

こんにちは、しゅあんです。

いつもこのブログではショーンという名を使っているのですが、今回は実名でお話をさせていただきます。

22歳になっても就活をせずに、何者かになりたいともがいている男の戯言です。

21歳の冬は所持金400円、東京にてホームレスを経験しました。

あの時は必死で、物乞いさえもいとわなかったことを覚えています。

 

この記事ではゆとり人間のぼくがなぜ今もがいているのかを等身大で書き綴りました。

嘲笑、蔑み、哀れみ、励まし、無関心。

読んでいてこうした気持ちが芽生えるかもしれません。

でも、好きなようにとらえてください。

このどうしようもないゆとり人間がどの様に生まれてきたのかを知ってもらえることこそが、ぼくは嬉しいのです…。

大学を休学するまで

ずっと強がって生きてきました。

高校生の時は、弱小サッカー部のキャプテンで、「プロサッカー選手として海外で活躍する!」と言ってイジメられたことがあります。

それでも自分はきっと大物になるんだと思い続けて努力していました。

結局インターハイや選手権は県大会すら出場はできませんでした。

でも諦めきれずにサッカーを続け、大学では高知大学サッカー部に所属。

全国大会常連校の高知大学には、エリートコースでサッカーをしてきた素質がズバ抜けてある人やぼくよりも身体能力が数段高い人たちが大勢いました。

 

彼らのような優れた人間の中でも、ほんの一部の限られた人間だけに許された世界がプロなんだ…

 

県大会すら出場できなかったぼくは、その壁をまざまざと見せつけられ、心がポキっと折れたことを覚えています。

大学1年生の冬…

結局、1年間ダラダラとサッカーを続けていましたが退部しました。

 

真っ白になりました。

13年間サッカーを続けた日々がフラッシュバックしてきて、何度もひとり暮らしの家で悔し泣きしました。

部屋は随分と汚れていき、色あせて薄くなった服が、干イカみたいにパタパタと舞う日が何日も続いていたよう思います。

うす暗い部屋の中、何度も泣いて、悩んで、ぼくは1つの答えにたどり着きました。

真っ白ならまだ可能性は残されているのだ。

この白いキャンバスをたくさんの色で埋めてやれば良いと…

これが、3年前の出来事です。

 

そこからたくさんの経験をしてきました。

そのきっかけをくれたのは、大学で出会った1人の友達でした。

とても漢気があって、友達思いでぼくにとっては友達というより憧れの存在でした。

 

彼はぼくに言いました。

お前はもう友達なんだから、俺のまねするようなことは辞めてもっと自分らしく粋に生きればええがよ

とても勇気づけられました。

そして大学2年生の期間、彼はぼくの知らない世界をたくさん見せてくれました。

ヒップホップ、古着、スノボ、タバコ。

彼がDJをやっていた関係で多少の偏りはあったことは認めますが、それでも勉強とサッカーしかしてこなかったぼくにとっては、キラキラとした世界でした。

ネオン街の片隅で、ぼくらはタバコを吸い、毎晩のように語り明かしました。

 

彼からは今でもぼくの基盤となっている多くのことを学んでいます。

全ての人に認められる人ではなくても良いということ。

自分が好きなものをとことん追求すること。

人とは違う自分であることの素晴らしさ。

彼と向き合う中で、忘れかけていたたくさんの大事なものに気がつきました。

 

彼との出会いから1年後、ぼくは大学を休学することを決めました。

まわりの大学生はそのまま大学3年生になっていきましたが、ぼくはそのレールから外れていったのです。

 

ふらふらと日本を旅する日々

いざ休学したところで、ぼくには何をしていいのかわかりませんでした。

ひとまず休学した大学生によくあるヒッチハイクをしてみることにしました。

何者でもないぼくは、今と同じく何かしらのきっかけを求めていたのでしょう。

ブログを始めたのはそんな時でした。

ヒッチハイクで日本一周して、その出来事を自分の日記がわりにまとめるツールとしてブログを書き始めました。

結局、北は北海道〜南は鹿児島までヒッチハイクで周り、この時だけではないですが、これまでに300台近くの車に乗せてもらう経験をしました。

 

その中には、プロの釣り師、F1レーサー、詐欺師、心理学者、政治家、お笑い芸人、ディープな業界の人など、これまでに出会ったことのない様な仕事をしている人たちがいました。

ぼくは彼らから仕事や人生の厳しさを教わりました。

飯と酒を奢ってくれ、人生とはなんぞやと熱く語ってくれた人もいます。

また、各地域で出会った人の中にも何者でもないぼくを温かく受け入れてくださり、時には自分の家に泊めてくれる方もいました。

 

もしかしたらこの記事を読んでくれている方もいるかもしれませんので、感謝の気持ちを伝えておきます。
かけがえない経験とたくさん知恵を授けてくださりありがとうございました。

たくさんの方のおかげでぼくの知らない世界が少し広がった気がします。

 

こうして、ヒッチハイカーという肩書きを手にしたぼくは多くの人が経験したことのないことをしたのだと大きくなっていました。

しかし、この時のぼくも結局何者でもなかったのです。

その旅が終わってたくさんのものを手に入れましたが、自分が何者かになれた感覚は全くありませんでした。

 

自由にお金を稼ぐことへの憧れ

これだけの経験をしたのに、何者にもなれないのは何故だろう?

こんな風に迷っていると高知に2人のブロガーがいることを知りました。

1人はインフルエンサーのイケダハヤトさん。

もう1人は高知出身の当時大学生ブロガーとして活動していた八木仁平さん。

高知の大学に通っていたことでイケダハヤトさんとお会いするきっかけができ、急いで会いにいきました。

 

とにかく驚きました。

ブログで飯を食っている人が実在するということに…

今となっては当たり前のことですが、当時のぼくには衝撃でした。

人とは違う何者かになりたいと思うぼく、そして今もがいているゆとり世代の多くは、大学に通って、就活をして、就職先で仕事をして、温かな家庭を築くという当たり前の幸せに魅力を感じることがないのかもしれません。

(決してディスっているわけではないのでご理解ください)

2人との出会いで、場所や時間に縛られずに生きてみたいと思うようになりました。

ブロガー界隈では、出会った人がだめだという意見もあるかとは思いますが、ぼくにとっては彼らがきっかけとなったのは事実ですし、方向性はどうであれ出会えてよかったと思っています。

 

そう簡単には変わらない現実

そして八木さんのオンラインサロンに入って、ブロガーとはなんぞやということを学びました。

しかし結果は出ませんでした。

ここでもぼくは何者にもなることはできなかったのです。

決して八木さんのサロンが悪かったとは思いません。

このサロンから、

・ライターとして活躍する同い年で東大生50円で売りますのりょーすけ君

・20代女性で活躍するクソ真面目ゲスブロガーのあんちゃさん

・中卒起業家兼人気ブロガーのブン太くん

・Airbを日本で広めている、るっていさん

など、才能を発揮していった方は多くいます。

 

でもぼくはダメでした…

彼らが何者かになっていくのを呆然と眺めていることしかできませんでした。

大学サッカーで味わったものと同じ感覚。

また同じことをやってしまったと思ったことを覚えています。

 

ブログを続けながら悩む日々

ここから細々とブログを続けながら迷い続ける日々が続きました。 

ヒッチハイクをしながら手紙を運ぶブロガーになったらいいのではないだろうか。

哲学が好きだから哲学ブロガーを目指そう。

ちょっと外れた視点から大学生に物申すブロガーになろうか。

どれもうまく続きませんでした。

 

結局、成功していった人たちと当時のぼくの差は、ブログに対する考えの深さだったのです。

彼らは自分なりの人生哲学があり、それにそってブログを更新し続けていましたが、ぼくは行き当たりばったりの人生哲学と、足りない経験を補うための薄っぺらい知識しか持ち合わせていませんでした。

 

2人のメンターと出会いで知的好奇心が爆発

そんな迷走しているぼくのところに大学の友達から久しぶりにLINEがきました。

なんか難しいことばっかやりよるようやけど、とりあえず同世代の大学生の中でもう一度考えてみたらええがやない?

もっともでした。

ぼくはそこで戦うレベルではなかったのです。

何かきっかけが掴みたくて、彼が運営で関わっていた学生が集う四国の合宿に参加してみることにしました。

そこには、同じような悩みを抱えている学生がたくさんいました。

そこでぼくはメンターとしてきていた2人の人に出会っています。

 

1人は京大で社会学を学んでいる学生でした。

現在は大学院で学ぶ傍ら、お笑い芸人をやっているなんともユニークな人です。

彼はぼくの知的好奇心を常に満たしてくれました。

・社会とは個人の集合体で作られているが、同時に個人も社会から作られている。

・多くの哲学はただの言葉の答え合わせをやっているに過ぎない。

・男と女を分けるのは本当に体の構造なのか?

・自分がこの世に存在しているのかは他者には証明できない。

ぼくはもっとアカデミックな知識をつけなければならないと思いました。

 

またもうひとりのメンターにも出会いました。

彼は東大卒の実業家であり20代前半ですでに20社近い会社を経営し、若手起業家では頭一つ抜けているのに、決して大衆の前に出ることはなくひっそりと日本の経済界を盛り上げてる人でした。

彼の話は驚きの連続で、特にこれからの日本がどうなっていくのか、AIやブロックチェーン、自動運転、世界のお金の流れ、当時のぼくには何から何まで知らない世界。

もっと世の中のことを知りたいと思うようになりました。

 

皆が寝静まった合宿所の中で、ぼくの中の知的好奇心がボッ爆発したのが分かりました。

ぼくは何者かになるため、また人生哲学をみつけるために勉強しなければならなかったのです。

 

アポ無しのほぼ無一文留学

どこで何を勉強すればいいのか全くわからずに、とりあえず大学の教授に相談しました。

教授の研究室で待たされている間、部屋の中の蜘蛛の巣をみて、「蜘蛛の糸」という小説を想起したことが今でも記憶に強く残っています。

 

教授はどこか他人事のようでした。

君の勉強したいことは未来社会学ではないだろうか?それならアメリカのUCバークレーという大学がお似合いだね。難しい大学だけど…

UCバークレーの凄さを全くもって知らなかった当時のぼくは、留学のために勉強する時間が惜しいからという理由でアメリカに渡ることをすぐに決意しました。

このころのぼくはとにかく自分は何をしたいのか知るために、また知的好奇心を満たすために無我夢中だったのです。

 

UCバークレーの凄さを知ったのは現地に着いてからでした。

ぼくは、受け入れ先の大学も、宿泊先も、現地の知り合いも、完全に準備することなくアメリカ行きのチケットだけをとって飛行機に飛び乗っていたのです。

飛行機の中では不安と、ワクワクで変な感情が入り混じった状態。

そんな気持ちと同様に、フィリピン航空の飛行機は何度も揺れていました。

正直な話、飛行機に乗ってからは安い航空会社を選んだことを何度も後悔しています。

 

今思えば完全に無謀でした…

とにかく着いてもそれほどお金がなかったので、数日間サンフランシスコ国際空港に寝泊まりしながら現地の情報を集め回りました。

そして、日本人のエンジニアクラブのミートアップ(イベント)に参加することができ、そこで偶然出会った日本人大学教授からバークレーの教授を紹介してもらえることとなります。

まさに奇跡、漫画『カイジ』でいうところの僥倖でした。

 

バークレーでは拙い英語を使ってでしたが、たくさんの学生や教授と話すことができました。

もちろん正規授業を受けることはできません。

しかし1ヶ月の間ぼくは知的好奇心を満たし続けました。

アメリカで出会った人々は、みなぼくの話を面白がって聞いてくれました。

日本でヒッチハイクをしたこと、アメリカにアポ無しで突っ込んできたこと。

下手くそな英語で話す物語を、彼らは喜んで聞いてくれました。

 

そんなある日、教授に「アカデミックな勉強は日本でもできるのだからロサンゼルスへ行ってもっとアメリカを体験しなさい」と言われました。 

とても寂しい気持ちになりました。

ぼくはバークレーで多くの学生たちと話すことのできる機会にすごく満足していたのです。

もう出ていけと言われたのかと思いました。

しかし、ロサンゼルスに着いてそれは違うということに気がつきました。

教授はちゃんとぼくのことを考えてくれていたのです。

 

ロスで向き合ったちっぽけな身の丈

ロサンゼルスまでは長いバスの旅でした。

アメリカ人の体格には不釣り合いな狭い車内で、ぼくはバークレーで出会った人たちに教わったこと、彼らが何者でもないぼくを受け入れてくれていたことを思い出してなんだか哀しい気持ちになりました。

 

ロサンゼルスに着くと、そこは40℃を超えるうだるような暑さで、宿泊先のシェアハウスまでの道のりはなんだか遠いものに感じたことを今でも覚えています。

シェアハウスは日本人が運営していた関係で、半数は日本の若者が住んでいました。

彼らの多くは何者かになろうとしている人たちばかりで、ぼくにとってはとてもいい環境だったと思います。

 

映画監督、デザイナー、美容師、ダンサー、バンドマン、経営者。

みな何かしらの夢や目標をもってそこに集っていました。

そのうちの1人とぼくは長い時間を共にすることとなります。

彼は映画監督になることを目標としている1つ年上の大学生で、ロス近郊のハリウッドという街で映像の勉強をするためにアメリカを訪れていました。

映像を撮っている関係で、物事を考える際にイメージで伝えてくる節があり、ぼくはそんな彼にすごく興味を持ちました。

 

ある時、彼はぼくに言いました。

しゅあんはちっぽけなネコに似ている。まだ育ちきっていないのに好奇心旺盛で自分をライオンだと勘違いしているように感じるよ

何を言われているのかすぐに分かりました。

ぼくはいつも強がっていたのです。

それは、高校生の時にプロを目指すと言い続けていた頃と全く変わっていませんでした。

 

そこからぼくは今の自分の身の丈を受け入れるために自問自答を始めました。

・大口を叩かない

・自分の身の丈を受け入れ努力する

自分の身の丈を受け入れ出すと、どれだけ自分がちっぽけな存在かを気づかされるのでした。

アメリカ後半のロス生活はひたすら自分と向き合う日々でした。

日本に帰ってきて彼と再会した時に、「しゅあん少しだけだけど変わったね。」といってくれたことはすごく嬉しかったのです。

しかし、変化と同時に見えたの自分の身の丈はあまりに小さく何をすれば理想の自分に近づけるのか分からなくなっていた自分でした。

 

東京で所持金400円のホームレス

お金をアメリカで使い切ったぼくは、東京に戻ってきて一文無しでした。

一時は所持金が底をつきかけ、400円にまでいったこともあります。

当時のぼくは、冬の新宿で野宿をしたり、マクドナルドでコーヒーだけを頼んで一夜を明かすような生活をしていました。

お腹が空き過ぎて、食べ物を恵んでもらう経験もしました。

世に言うホームレス状態です。

もう世の中の辛いことなんて全てチンケなものに感じました。

ぼくが特に興味深いと感じたことは、そんな状態にある時もぼくは笑っていたことです。

なぜかその状況をサバイバルとして楽しむことができていました。

間違いなくぼくは圧倒的楽観主義者だったのでしょう

 

それでも現実は厳しく、冬の身を切るような寒さと飢えはどうしようもありませんでした。

大都会の片隅で、ダンボールを掲げた経験は人の温かさと冷たさの両方をぼくの中に刻みました。

その後はなんとか立て直し、普通に東京で生活できる現在の状態を保っています。

それは東京に住む地元の友達や知り合いなどがお金を持たない状態のぼくを助けてくれたお陰です。

あの時助けてくれた人たちには本当に感謝をしています。 

ありがとう

 

東京で少しずつ見えてきた人生の目的

あの絶望的状況から半年が経ちました。

現在は縁あって留学プログラムから派生したシェアハウスに住んでいます。

なんとか資金難は乗り越えましたが、現状はなかなか厳しい日々が続いているのも事実です。

東京にきて、このように苦しみながら何者かになろうとしている人に多く出会いました。

苦しい経験をし、親から認められず、大人からはゆとり世代だと揶揄されている大勢の若者たちです。

 

ぼくもその1人で、多くの大人からするとどうしようもない生き方をしているゆとり人間です。

それでも東京で人生の目的を見つけました。

未知を探求し、自らの中で体系化し、それを発信する

この価値は自分にしかわからないようです。

他者に分かりやすく言えば、ライター活動やジャーナリスト、研究者といった具体的な肩書きで表せるでしょう。

しかし、肩書きとは他者目線によって表される自分であり、肩書きと自分自身には必ずギャップが存在すると思うからこそ、ぼくの中での人生の目的は抽象度を高く設定しています。

 

肩書きはその場の状況や時代、環境によって常に変化させればいい。

このことに気づけたことが、ぼくが東京に来てもっとも良かったと感じる点です。

しかし同時に、周りの大人や就活生とはまた少し価値観がずれてしまいました。

ぼくはどうしようもないほどに外れたがりなのです。

 

あとがき

ぼくはしゅあんと言います。

この名は日本中探しても出会うことの無いであろう名前。

親からもらったこの名前のように、他の人とは違う何者かになりたいともがき続けています。

しかし他者と違う自分になろうとするほど、現実社会ではうまくいかなくなります。

ゆとり世代と呼ばれる若者の中には、ぼくと同じ悩みを抱えながら、今を必死に生きている人たちがいることでしょう。

 

何かになろうとしている時、人は何者でもない自分に気がつき苦しくなります。

多くの大人たちはそれに気がつかないように工夫しているのです。

「まだ若いんだから大丈夫」なんて無責任な言葉をかけてる大人はたくさんいますが、ぼくはその苦痛の中で、もがき続けてきました。

出会いの多さ、哲学思考、行動力、他人とは違う価値観、知的好奇心。

ぼくとしては、そんな大人たちに負けないぐらいの武器を持っているつもりです。

 

でも彼らは肩書きで判断します。

そんな社会の中では、ぼくの様な人間は何者でもないダメなゆとり人間でしょう。

理解して欲しいと叫んだつもりはありません。

また、生き方は人それぞれあることもわかっています。

ぼくはただ、こういったゆとり人間が存在することを知ってほしかったのです。

 

東京の空はどこか小さく、空虚。

その下には無数の人が歩き、満員電車が忙しく走っています。

その中で、ぼくは毎日もがいています。

何者かになるために…